磯一グループ記念すべき第1号店は、山田店です。今も同じ場所に山田店があるので、ここから磯一グループは始まりました。
もともとこの物件は一軒家をを改装してお店にしたところで、そこをそのまま居抜きで借りることにしました。居抜きとは、物件の状態をそのまま使うという意味です。前も飲食店だったので、その形や設備をそのまま使うので、開業コストを低く抑えられるメリットがあります。
開業当初は嫁と2人での営業。子供は店舗の2階で過ごすという、まさに家族経営です。営業時間は深夜の3時まででしたが、当時はラストオーダーを聞かず、最後のお客さんが帰られるまでが事実上の営業時間でした。今では従業員のことも考えてラストオーダーをお伺いしていますが、こうした考え方は磯一の原点に通じるものがあります。
当時はお客さんが帰るまで片付けはしないので、深夜3時までの営業といっても、片付けて帰るのは4時や5時になるという生活です。当時子供は小学校1年生だったので、起こさないようにその時間に連れて帰るという毎日です。
翌日は、朝の8時、9時頃から仕入れに行って昼前までにお店に到着、そこでひたすら仕込みです。定休日はあったのですが、仕込みのために作った定休日なので、私自身の休日ではありませんでした。
そんな生活だったので、生身の人間が耐えられるはずもなく、一度厨房で倒れたこともありました。
今となっては開業当初の思い出ですが、あの頃は本当にがむしゃらに働いていました。
こんにちは、中野です。
すでに公式サイトには掲載しているのでご覧になった方もおられると思いますが、磯一グループの社員が活躍する様子を紹介する動画をYoutubeで公開しています。
こちらからも、ご覧いただくことができます。
動画の中に、磯一名物の「のど黒土鍋めし」が登場します。これは単に食べて美味しいだけでなく、見た目のインパクトやワクワク感も演出した入魂の名物メニューです。
また、普段はお客様から見えないところや調理場面も映っているので、居酒屋でのお仕事やビジネスに興味をお持ちの方には、とても参考になると思いますよ。
さっきまで水槽で泳いでイカが、美しい料理になっていく様子も必見です。
動画に何度か登場して、最後にメッセージを語っている女性スタッフは、磯一グループのホールマネージャー、流郷です。アルバイトの研修などを担当する要職にある彼女ですが、もともとは学校の先生になりたかったそうです。形は違っても人にものを伝えて教えていくことにやりがいを感じる仕事を、イキイキとこなしてくれています。
人を育てる会社、人を成長させる会社という大きなテーマを掲げている磯一グループは、研修システムを充実させています。それを示すかのような研修資料がありますので、ご紹介したいと思います。
写真に並んでいるのは、スタッフ研修の各段階で使用されている研修ハンドブックです。ハンドブックという名前の通り、とても小さな冊子にまとめてあります。タバコの箱よりも小さいので、ポケットに入れていつでもどこでも見られるようになっています。研修は座学だけで完結するものではなく、研修で学んだことをいかに実践するかが大切です。その意味では研修で学んだ時よりも、それを実践する時のほうがハンドブックは大切になるので、小さくしました。
初級、中級、上級。さらにAとBと細かく分かれていますね。人の成長は一夜にして出来るものではなく、少しずつ、確実にするものです。そのプロセスをしっかりと踏みながら、次のステップに進む。たとえ時間がかかっても、それぞれの人が確実に一歩ずつ成長していくことが大切だということを追求した結果、このような形のハンドブックになりました。
中には書かれているのは、とても良いことばかりだと思っています。磯一の一員になる方は全員が見ることになるハンドブックなので、ぜひこの中身をご自身の長い人生に役立つ成長につなげてもらえればと思っています。
最近のニュースによると、中国で日本式の居酒屋スタイルで飲食を楽しむことができるお店が大人気になっているそうです。すでに中国では回転寿司や牛丼店など、日本で生まれたスタイルの飲食店が大人気ですが、居酒屋もそれらと同様に受け入れられているということです。
ビールやお酒などをおつまみと楽しみながら、最後にシメで主食を食べるという流れは、まさに日本と全く同じ。店内の風景を見ると、ここは日本の居酒屋かと思ってしまうほどです。
ただし、日本の居酒屋とは決定的に違うことがひとつあるそうです。それは、どの居酒屋もラーメンを前面に出していることです。日本では居酒屋とラーメン店は別物で、最後のシメにラーメン店に行くという人が多いですが、中国ではシメまで全て居酒屋で完結する人が多いらしく、居酒屋もこうしたニーズに応える形でラーメンに力を入れているそうです。
政治的には何かとうまくいかない日本と中国ですが、食文化は別物。日本で中華料理店に行く人がたくさんいるように、中国で日本式の居酒屋料理を楽しむ人がいるのは、きわめて自然なことなのでしょう。国は変わっても、良いものは良いのです。
引用元:マイナビニュース 2014年8月26日
http://news.mynavi.jp/news/2014/08/26/021/
現在の磯一という姿になるまで、色々な飲食店を経験してきました。そこから得られた「こんな居酒屋にしたかった」というイメージがあります。今回は、そのあたりのお話をしてみたいと思います。
まず、必要なのはお客様の目線です。自分だったら、どんな居酒屋だったら行きたくなるか?ここから考え始めました。昔の自分だったら、「どんな料理を出したいか?」という職人目線だったと思いますが、客様の目線を真っ先に考えられるようになったこのあたりにも、自分自身も仕事を通じて成長できた点だと思っています。
イメージをコンパクトにまとめると、割烹ほど気取らず居酒屋ほど砕けず、鮮魚は何処にも負けない海鮮料理の店、となります。
本当に誰でも気軽に入れる店にしたかったんです。自分も飲み食いが好きなのでよく分かるんですが、サラリーマンのおこずかいで月に何回外食できるだろうか?また、そこではいくら使えるだろうか?
そういうことを考えると、当然ながらおいしくて安い店で、なおかつ接客も含めて感動が得られる、人を元気に出来る価値のある飲食店という結論に至りました。
創業当初にこだわったことは、海鮮料理がメインでありながら1品あたり1000円以上のメニューは絶対に置かないことでした、お勘定を気にせず、安心して食事を楽しんで欲しいという思いがありますからね。お客さんの要望が強くなって、初めて伊勢海老、あわび等の高級食材も置くようになりましたが。
今でも一番大事にしていることは、店のある地域の人に、必要とされてるか?という一点です。
起業時は夢が一杯で、必死でしたから苦労というより、何が何でもやってやる、という気持ちが強くて、時間が足らない、寝なくて仕事ができたらどれだけ幸せだろうと本気で思っていました、
寝ないで済めば、その分働けますもんね。当時の睡眠時間は2~3時間で、定休日は仕込みの日という生活でした。それが平気で出来ていたほど、充実していた日々でもありました。そんな生活で唯一の気がかりといえば、子供を一人にしていたことですかね。
それと、この時に実感したことが2点あります。
1つ目は、やはり雇われている時は仕事を与えられていたんだとということでした。たとえ人より働いていたとしても、それは与えられた仕事でした。 起業するということは、仕事を創り出すのだということです。なお、我が社では仕事のことを「志事」と表現していますが、この言葉が生まれたのもこの頃です。ここにも仕事は与えられるものではなく、志を持って創り出すものであるという想いを込めています。
そして2つ目は、結果を出してこそ経営者、お金を稼げない経営者は誰も付き合ってくれないということです。金の切れ目が何とやらという言葉もありますが、実際に起業してみて、このことが身に染みました。
写真は、初めて起業した時の店内風景です。居抜き物件を引き渡された時の状態です。ここから全てが始まりました。
このブログのタイトルにも成っている「凡事徹底」というのは、磯一グループにとっての座右の銘です。意味は「当たり前のことを当たり前のように誰もができないくらい努力する」となります。平凡に見えるようなことであっても、徹底的にやるということですね。
私はこの言葉が大好きで、磯一グループだけでなく、私自身にとっても座右の銘としていつも意識しています。
その理由は、凡事つまり平凡に見えることにこそ大事なものがたくさん隠れていて、それをおろそかにするとその先、もっと難しいことをしようとしても無理だからです。何事も基本が大切ですが、凡事=基本だと考えれば、いかに当たり前のことをキチンとするのが大切か、お分かりいただけると思います。
例えば、職場での挨拶。挨拶は相手の目を見て大きな声で、といつもスタッフには伝えています。なぜなら、挨拶も凡事のひとつで、これをしっかりやる(徹底する)ことが、職場の雰囲気づくりや良い仕事づくりに大きな力を持つからです。
相手の目を見て挨拶をすることは、基本中の基本ですよね。よそ見しながら挨拶されて良い気持ちになる人はいません。それはお客様だけでなく、スタッフ同士でも同じです。
大きな声というのは、何も可能な限りの大音量という意味ではありません。相手にちゃんと伝わるだけの声を出して、話をちゃんと聞いていることを伝えるという意味です。
こうした凡事の積み重ねが、繁盛店を作ると確信しています。
寿司職人としてのプライドにこだわるあまり、お客様や周りの人の目線を全く考えていなかったことに気づかされた体験は、当時の私にとっては大事件でした。
このことに気づいた時、包丁を持った手が震えて、板場に立ちながらお客さんの目の前で涙を流していました(実話です)。当時はそれほどのショックを受けました。自分のことばかりで、お客様や周りの人に対する感謝が足りなかったんですね。
しかし、その後は人に優しくそして物事を大きく捉えれるようになりました。
すると自分のことを周囲の人が高く評価してくれるようになりました、また後輩たちも以前と違ういい顔でついて来てくれるようになり、総てに対して見ている景色が変わりました。
この経験を、これから成長をしていきたいと考えている磯一のスタッフたちにも知ってもらいという思いがとても強く、色々な形で伝えるように努力しています。
そうこうしながら月日が流れ、そろそろ独立をと意識しだした矢先に、ある事件が起きました。それは、あの食中毒O-157の大流行です。
生ものを扱う寿司屋にこの影響が直撃し、当時店長をしていた寿司店の売り上げがすぐに半分になりました、O-157の感染源や原因が分かるまでの3か月間は、ずっと売り上げが半分でした。ようやく原因が魚からではないことが証明されて売り上げは回復しましたが、もし自分が商売を始めたばかりでO-157が魚から出たらと思うと・・・今でもゾッとします。当時の焼き肉店オーナーさんは、そんな思いだったということですね。
そんな時、とても繁盛している近所の海鮮居酒屋に食べに行ったら、なんといつもと変わらず大盛況。そうです、寿司屋は生食がメイン、海鮮居酒屋は火を通しても全然OKなのです。みんな魚が食べたいのです、そして安くて良いものが。
その時に決心しました、寿司屋ではなく海鮮居酒屋を出店しようと。
寿司屋と同等、いやそれ以上の鮮魚を仕入れて価格は半値。
居酒屋なら煮たり、焼いたりするメニューも置けるのでロス率が減って、決して不可能ではないと思いました。
そうです、自分が気兼ねなく飲み食い出来る店を作ろう。但し鮮度と質は高級寿司店にも負けない上質の魚を提供する店、寿司屋出身だから出来る海鮮居酒屋。
そして29歳の時、これまで一言も文句を言わずについて来てくれた嫁と2人で居酒屋「磯一」を吹田の山田にオープンしました。
ちなみに、当時子供は小学校1年生でした。
~つづく~
LINEをご存じでしょうか。そうです、スマホアプリで有名な、あのLINEです。
お客様への情報配信に利用しているのはもちろんのこと、実は社内でも活用しています。
例えば、毎日夕方になったら各店舗から送られてくる今日のメニュー写真。海鮮居酒屋なので、素材の種類や活かし方は、それぞれの店舗に多くの部分を任せています。そして、各店舗が用意した今晩のメニューが、私のところにLINEで送られてきます。LINEなら各店舗から1ヶ所に情報が集まってくるので一目瞭然、全体を統括する立場の私としては各店舗の動きが手に取るように分かるので、とても重宝しています。
また、LINEにはグループを作る機能があるので、各店舗の店長クラスのスタッフとグループを組み、会社全体の重要な連絡事項は各スタッフに同時配信されるようになっています。もちろん、それも全て私のところにも配信されるので、会社の動きがよく分かります。
個人同士のコミュニケーションツールとして登場し、大ヒットしているLINEですが、最近ではビジネス分野に活用しようとする動きが見られるようになりました。
磯一ではすでに、LINEをビジネス分野に活用させてもらっています。
学生時代の中野は、世間一般に言う落ちこぼれでした。
中学校しか出ていない自分が出来ることはなんだろうか?
社会に出てから落ちこぼれの人生は歩みたくない、人よりお金を稼ぎたい、いい家に住みたい、いい車に乗りたい、人に指図されたくない、人が経験出来ない事を経験したい・・・これを簡単に言うと・・・そう、社長になりたい。これに尽きます。
いつしか、社長になりたいという願望は社長になるんだという具体的な目標に変わりました。その時に考えたことは、自分に何が出来るか?ということ。
真剣に考えた結果、頭に浮かんできたのはちょっと手伝いでアルバイトをしていたテキヤ!そうです、祭りでお好み、たこ焼きを焼いていました(笑)
客商売、それも飲食店を、自分の店を1店舗持ちたい、たとえ1店舗でも、立派な社長だ!!!最初はそんなシンプルな考えでした。
そして一番早く、独立出来る業態は何か?(かなり焦ってました)と考えた時、屋台で一人でも出来る寿司屋を選びました。
何も分からずに入った寿司の世界、やはり最初は厳しかったですが、頭の中は店を出すことで一杯で、厳しさより絶対やってやる!と言う思いのほうが強かったと思います。写真は、その当時の中野です。めっちゃ若いでしょ!
そうこうしているうちに仕事も少しづつ覚えて来ると、楽しさに引き込まれ、奥の深さにも気づき純粋に一生この世界で生きて行こうと決心しました。そして21歳で小さなお店(寿司屋)の店長をまかされて有頂天になって、ここで失敗をしました。
今思えば、この時の自信とやらは、まさにガラスの自信でした。しかし、その失敗(実践)で学んだことはとても大きく、今の磯一があるのもこの時の失敗のおかげです(当時の社長すみません!)。
この時一番学んだことは、総て職人としての目線が基準で考え、行動していて、本当にお客様の気持ちになって、お客様の目線で何一つ物事が見られて無かったことです。
ガキのくせに、しょうもないプライドの塊でした。頭では分かっていたつもりだったのですが、実際に体感して初めて本当のお客さん目線の意味が解りました、そして自分の勘違いも。
先ほども言いましたが、この時の失敗は、今になって大きな財産だと思っています。
~つづく~