こんにちは、中野です。
いよいよ5月も終わりに差し掛かって、あちこちで進んでいる夏支度を肌で感じるようになってきました。
あまり大きなニュースになっていないので、知らない方がほとんどだと思いますが、大阪の由緒ある神社でちょっとした事件がありました。
あまり規模は大きくありませんが、最近のパワースポットブームなどもあって参拝客が急増している神社です。
ここまでなら平和なニュースなのですが、なんとこの神社の鈴が盗難に遭ったそうです。神社の鈴というと、本殿の前に吊されているアレです。綱を振るとガラガラと鳴って、その音と共に柏手を打つのが作法ですね。
この写真は鈴があった頃のものです。確かに本殿前の中央にしっかりと鈴が吊されているのが分かります。この鈴がごっそりと持ち去られたそうです。
神社の方の話によると、その鈴は夜のうちに盗まれていたそうです。
神社の中には夜もお百度を踏む人がいるので門を開けたままにしているところも多いのですが、そういった神社の配慮を突いて神社や寺から物を盗む輩は最近になって多くなっていると聞きます。
私が子供の頃を考えると、神社や寺というのはそこにいるだけで背筋が伸びるような思いになったものです。
もちろん、今でもそれは変わりません。
こういう神聖なところで恥ずかしいこと、無礼なことをするとバチが当たるというのは誰しもが当たり前のように思っていたことで、そんなところから鈴を盗むというのはバチ当たりの極みです。
それだけ人の心が変わってしまったのか、荒廃してしまったということなのでしょうか。それとも、バチ当たりなことをしてでも鈴が欲しかったのでしょうか。
神職さんの話によると、あちこちの神社でこの手の窃盗が増えているそうです。
その理由は、鈴に使われている金属が高く売れるからなのだとか。つまり、泥棒にとって神社の鈴は神様とのやり取りに使う神器ではなく、ただの金属なのです。
信仰している宗教が違っても、古くから日本人は他人が大切にしているものを粗末にすることはありませんでした。
日本全国にあるキリスト教の教会に対して嫌がらせをしたりする日本人はいません。異教徒であっても、その人が大切にしているものだからと尊重できるのが日本人の美徳です。
もしかするとこうした金属窃盗を働いているのは日本人ではないかも知れませんが、日本国内で起きているのは紛れもない事実です。
人の心が貧しくなるというのは、まさにこういうことなのだと強く感じます。
なんだか寂しいですね。