こんにちは、中野です。
日馬富士騒動を通じて人を育てることの難しさや大切さについて、続きを語りたいと思います。
私は、人が成長するために絶対に必要なものは気づきだと思っています。
先生や師匠、上司や先輩からいろいろと教えられることはあると思いますが、それは答えではなくヒントです。誰にでもピッタリと当てはまる生き方や仕事の進め方というマニュアルはないので、いろいろな教えやアドバイスを自分に当てはめて実践をするには「気づく」ことがとても大切です。
「もしかしてうまくいかない原因は自分の○○ではないか?」と気づくことができれば、その人はその部分を直せるでしょうし、直した自分は一回り大きくなるはずです。
では、話を相撲界に戻しましょう。
相撲部屋に入門してくれる新弟子は、中学校を卒業したばかりの人から大学を卒業した人までさまざまですが、共通しているのはこれから成長していく余地が大いにある若い人だということです。
特に中学校を出たばかりの人は子供同然なので、その人を相撲部屋が人として成長させていくのです。だからこそ相撲部屋は「部屋」と呼ばれていて、親方やおかみさんがいるのです。「道場」なら師匠しかいませんが、「部屋」は親代わりの人がいる家族なのです。
古くから相撲界はヤンチャな若者に相撲だけでなく人としての生き方を教え、人格形成をする役割も担ってきました。
最近では新弟子不足という事情もあって外国人力士が増え、人格形成の前に「強くなること」が優先されてしまい、その結果がここ最近続いている不祥事ではないかと思うのです。
何もこれは、相撲界だけの話ではありません。
ネット業界に多い、若くして成功をした人のような人物像がチヤホヤされる傾向にも、それを感じます。その人たちが事業を成功させたのは素晴らしいことですが、お金の使い方に品がないように感じるのは、お金の稼ぎ方にも品がないからでしょう。
何も分からない時から仕事を教わって自分を成長させてきた人というのは、苦労もあるでしょうが人に対する感謝や思いが強いと思います。
カリスマトレーダーといって株で大儲けした人にはお金がありますが、人としての成長は置き去りになっているのではないかなぁと心配になります。
人間力を磨いてきた人には、お金がなくなっても能力や人脈、信頼などが残りますが、お金だけの価値観で出世をした人はお金がなくなったらすべてを失ってしまいます。
どちらが重要であるかは、言うまでもありませんね。
日馬富士騒動からは、相撲界の体質だけでなく体罰の弊害や最近の日本社会の単純すぎる価値観に対する警鐘のようなものを感じたのでした。