高齢者事故の多発に思う、己を知る難しさ

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こんにちは、中野です。
師走になると気ぜわしくなるので交通事故が多くなると言われていますが、最近はそんな師走がどうのこうのという以前に高齢者の痛ましい事故が連続して起きていることが気になります。
本人はまだまだ若いので運転などお手の物と思っていたら、ブレーキとアクセルを踏み間違えて病院やコンビニなどに車ごと突っ込み、死傷者が出てしまうという事故は、もう何度あったことかと思うほど多いですね。
福岡で起きた事故では、車のブレーキがずっと効かなかったといっているようですが、これが本当だとすると「車のブレーキが壊れていた」ということやブレーキ操作そのものを間違っていたと考えられるので、どっちにしてもそれで亡くなったご夫婦の無念は計り知れません。一緒に子供も歩いていて、子供の目の前で両親が亡くなったのですから、もうかける言葉もありません。

こうした一連の事故に思うのは、己を知る難しさです。
最近では高齢者に対して運転免許の返納を奨励する動きがありますが、これに応じているのは全体のごくわずかです。
何でも大阪は全国でもトップクラスの返納率だそうで、その理由が返納時の特典にあるというのですから、実に大阪らしいですね(笑)

話は戻って、高齢者に対して「あなたはもう運転できなくなるのだから、運転免許を返納して」と言っても、なかなか応じてはくれないでしょう。
なぜなら、これだけ多くの交通事故が起きていても高齢者の多くは「自分は大丈夫」と思っているからです。自分はまだまだ運転できるので返納する必要はないと思うのは、不自然なことではありません。
昨日まで普通に運転できていた人が明日突然交通事故を起こすとは、誰も考えませんよね。
ここに、己を知ることの難しさがあります。
人間はどうしても物事を自分の都合良く解釈したがるものです。本当にその人の運転技術が問題ないのかどうかの前に「まだまだ大丈夫」という気持ちのほうが前に出てしまい、いつしかそれが客観的事実であるかのように感じてしまうのです。

この問題は、何も高齢者の交通事故だけではありません。
何事にも言えることです。
私がよく「志事」と「死事」の違いについて話していますが、これも己を知ることの難しさゆえの違いです。
自分のやっていることが正しい、これでいいに決まっていると思い込んでしまうとせっかくの頑張りが「死事」になってしまうんですね。

自分自身も含めて、常に己を知るということに敏感でありたいと思います。

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