こんにちは、中野です。
いよいよ夏本番、高校野球のテレビ中継が始まると本格的に夏になったことを感じさせてくれます。
甲子園に出場できる高校は、全国にある47都道府県の代表だけです。
北海道と東京都は2校出場枠があるので、合計49校です。
毎年、この高校野球大会には数千という数の高校が参加をしています。そこから地方予選を勝ち抜いた高校だけに甲子園への切符が与えられます。
高校野球は基本的に全てトーナメント方式なので、甲子園に出場している時点で地方予選で一度も負けていない高校ばかりが集まってきているわけです。
そして甲子園でもトーナメントが行われるので、一度負ければそれで終わりです。
この一発勝負というところが高校野球の魅力ですが、いつも高校球児たちを見ていて思うのは人としての成長の尊さです。
一度も負けずに地方予選を勝ち上がって来た高校だけが甲子園に出場するという一発勝負の世界には実力だけでなく運も必要です。
たまたまその日にコンディションの悪い選手がいたり、天候や試合会場となる球場による地の利など、あらゆる要素が複雑に絡み合って勝敗が決まります。
このように考えると、何だか甲子園に出場するのは運が良いチーム、「持っている」チームだけのように感じますが、もちろんそれだけでは結果につながりません。
彼ら高校球児たちは努力をして、しかもその努力を自分の成長につなげる方法を知っています。
私がよく提唱している志事と死事の違いで、日々の練習や努力を志事として取り組んだ選手にレギュラーの差が与えられ、そしてチームとして志事に取り組んだ高校が甲子園への切符を手にするのです。
ただ長時間に及ぶ練習をしただけで甲子園に出られるのなら、無理をして24時間練習ばかりした高校が勝ち上がってくることでしょう。
飲まず食わず、寝る間も惜しんで練習をした選手が果たしてグラウンドで活躍できるでしょうか?
そんなはずはありませんね。
自分を高めるためのモチベーションやコンディションをしっかりと作り、目標を設定してそれに向けて効果的な練習を積んだ選手だけが成長をして、そうした選手が結果を出します。
かつては根性、根性、ひたすら根性というのが高校野球の基本的なスタイルでした。だからこそ人気が出たというのもあるでしょう。
それと比べて、今の高校野球は全く違います。一流選手になる可能性が高い選手については甲子園に出場することはもちろんのこと、その先を見すえた育成が行われています。
その先とは、つまりプロ野球です。日本のプロ野球なのかアメリカのメジャーリーグなのかはともかく、その先に大きな年俸を稼ぐ選手になるのが目標ということで小さな頃から英才教育をされてきた選手も少なくありません。
これはつまり、早い時期から目標を設定してそこまで自分を高めていくという志事に他なりません。
小さなうちは親御さんの意識や努力も大いに関係してくると思いますが、物心が付いてからの野球人生は、本人の意識が全てです。サボろうと思えばいくらでもサボれるでしょうし、やる気をなくして辞めようと思えばいつでも辞めることができます。
しかし、それをせずに着々と実力を付けてきた選手を支えてきたのは、「こんな自分になりたい」という大きな夢と目標、そしてそのためのロードマップです。せっかくの努力も方向を間違えていてはむしろ逆効果であるというのが私の持論ですが、野球選手にとってもそれは全く同じです。
ただひたすら長時間の練習をすれば良いというわけではなく、全身の強化や野球技術の吸収など、目標に向けて緻密に計算された志事に地道に取り組むことが大きな結果を生み出します。
プロ野球選手だって人間です。
特別な存在でも何でもありません。最初は何もできない状態で生まれて来てここまで一般の人と全く違う人生を送っているのは、志事が結果に繋がったからです。
私が何を言いたいのかというと、志事に取り組めば大きな夢であっても実現不可能ではないということです。活躍しているプロ野球選手を見て「あの人とは才能が違う」と諦めるのは自由です。
しかし、同じ人間なのだから自分にもできることがあるはず!と着実に前に進む人には、その人にふさわしい成長と成功が訪れると思っています。それが、志事です。
甲子園で汗を流す高校球児たちを見ていて、若いのに志事に取り組む姿に熱い物を感じます。どの選手も勝敗より自分の成長のために頑張って欲しいと願っています。