寿司職人としてのプライドにこだわるあまり、お客様や周りの人の目線を全く考えていなかったことに気づかされた体験は、当時の私にとっては大事件でした。
このことに気づいた時、包丁を持った手が震えて、板場に立ちながらお客さんの目の前で涙を流していました(実話です)。当時はそれほどのショックを受けました。自分のことばかりで、お客様や周りの人に対する感謝が足りなかったんですね。
しかし、その後は人に優しくそして物事を大きく捉えれるようになりました。
すると自分のことを周囲の人が高く評価してくれるようになりました、また後輩たちも以前と違ういい顔でついて来てくれるようになり、総てに対して見ている景色が変わりました。
この経験を、これから成長をしていきたいと考えている磯一のスタッフたちにも知ってもらいという思いがとても強く、色々な形で伝えるように努力しています。
そうこうしながら月日が流れ、そろそろ独立をと意識しだした矢先に、ある事件が起きました。それは、あの食中毒O-157の大流行です。
生ものを扱う寿司屋にこの影響が直撃し、当時店長をしていた寿司店の売り上げがすぐに半分になりました、O-157の感染源や原因が分かるまでの3か月間は、ずっと売り上げが半分でした。ようやく原因が魚からではないことが証明されて売り上げは回復しましたが、もし自分が商売を始めたばかりでO-157が魚から出たらと思うと・・・今でもゾッとします。当時の焼き肉店オーナーさんは、そんな思いだったということですね。
そんな時、とても繁盛している近所の海鮮居酒屋に食べに行ったら、なんといつもと変わらず大盛況。そうです、寿司屋は生食がメイン、海鮮居酒屋は火を通しても全然OKなのです。みんな魚が食べたいのです、そして安くて良いものが。
その時に決心しました、寿司屋ではなく海鮮居酒屋を出店しようと。
寿司屋と同等、いやそれ以上の鮮魚を仕入れて価格は半値。
居酒屋なら煮たり、焼いたりするメニューも置けるのでロス率が減って、決して不可能ではないと思いました。
そうです、自分が気兼ねなく飲み食い出来る店を作ろう。但し鮮度と質は高級寿司店にも負けない上質の魚を提供する店、寿司屋出身だから出来る海鮮居酒屋。
そして29歳の時、これまで一言も文句を言わずについて来てくれた嫁と2人で居酒屋「磯一」を吹田の山田にオープンしました。
ちなみに、当時子供は小学校1年生でした。
~つづく~