泣く子と地頭には勝てぬ?

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こんにちは、中野です。
いよいよ梅雨入りをしましたが、まだ爽やかな日もあったりで春と夏がせめぎあっているような毎日ですね。

いきなりですが、「泣く子と地頭には勝てぬ」という言葉をご存知でしょうか。
もう古い言葉なので知らないという方も多いことでしょう。磯一グループのスタッフ中でも知っている人はほとんどいないような言葉です。
地頭とは、かつていた役人のことです。年貢の徴収において強権を発動して厳しく取り立てていた人たちのことです。現代の税務署も十分厳しく取り立てている気がしますが・・・それは別の話ですね(笑)
この地頭に目をつけられてしまうと痛くない腹まで探られてしまうのではないかというわけで、とにかく多くの人々から恐れられる存在でした。

そこでもうひとつの「泣く子」です。
これは言うまでもなく一旦泣き始めたら手がつけられなくなった赤ちゃんのことです。
飛行機や新幹線の中で赤ちゃん連れの人は必ず何組かいますが、その中の赤ちゃんが泣きやまず延々と泣き続けているような場面に出くわすことがあります。
人間誰でも赤ちゃんの時があって、親にさんざん手こずらせたはずなのですから、それもひとつの成長くらいに思っておけば良いのですが、それを「うるさい」と感じる人も少なからずいます。
ひどい場合は「うるさい!」と言ってしまう人もいますが、こういうところに人の器が出るのではないかと思ってしまいます。先ほども言いましたが、人間には誰しも赤ちゃんの時期があって、少なからずどこかで泣きわめいて親だけでなく色々な人を困らせてきた「武勇伝」を持っているはずです。
その上で「うるさい!」と言うのですから、よほど我慢できなかったのかも知れませんが、そもそも人の多い場所に行くと何らかの騒音はあるわけで、それ以外にも色々な音が入り交じっているので静かな場所を求めるのであれば人のいないところに行くしかありません。

親にしてみれば、泣く子の恐ろしさは子供を持っている人同士の「あるある」です。一番泣いてほしくない場所で大泣きされて全く泣き止まなかったといったエピソードは、全ての親御さんにとって何らかの心当たりがあると思います。
だからこそ、そういう人たちはよその赤ちゃんが泣きわめいていても、そのことを非難したりはしません。内心はうるさいなと思っていても、それを口に出すことはしないでしょう。自分も同じ苦労をしているので、批判をしてどうにかなるものではなく、親が余計に困るだけだと知っているからです。
この場合、子供を持つ親となった人が子育てで苦労をしたことでひとつ成長をしたと考えることができます。「うるさいけれどお互い様」と考えることができれば、ギスギスした雰囲気にもなりにくいでしょう。

話を「泣く子と地頭」に戻しましょう。
今も昔も泣く子というのは地頭と同じくらい恐ろしい存在で、それを止められる人はいないということです。その苦労を知ることを人は親となり、大人の振る舞いができるようになっていくのだと思います。
必ずしも子供を持つ親がそうなるとは言いませんが、人として成長するための大きなプロセスであることに変わりはありません。やはり人間は、かなり苦しくなるほど追いつめられるような経験をしてはじめて、そこで何かに気づき、成長できるということですね。

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