大切にしたい「気づき」

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気づき 成長 出世
こんにちは、中野です。
前回、教育とは気づきであるというお話をしました。
これはとても重要なことで、私がよく述べている「志事と死事」の大きな違いに通じる部分なので、もう少し詳しく語ってみたいと思います。
前回はちょっと漠然としていたかも知れませんが、今回はもっと具体的にお伝えします。

気づきというのは、前回お伝えした「あ!」という瞬間です。
この「あ!」というのは、人から教わることができません。
教わることができるとすれば、その人が「あ!」と思った瞬間の話くらいでしょうか。それとて、その人にとっての気づきであって、同じタイミングで気づきが得られるかどうかは分かりません。
だからこそ難しい・・・?
いえいえ、そんなことはありません。

教育というと覚えることが多いような気がして難しく感じるのも無理はありませんが、気づきは覚えることも特にないので、全然難しくありません。
人から何か伝えられた時に、その人がなぜそれを自分に伝えているのかを考えるだけで良いのです。
何の目的や意図もなく、わざわざ何かを伝えてくる人はいません。そこには必ず、何か目的と意図があります。
それを自分なりに考えてみて、その答えを出そうとしてみてください。

その時に「あ!」というヒラメキがあったら、それが正解のはずです。
しかも、その正解は誰かから教わったり強制されたものではなく、自分で出した答えです。
そうです、その答えは気づいた人のものです。

この素晴らしさ、尊さに気づくことができれば、その人はもう成功したのも同然です。
なぜそう思うのかというと、私自身も含めてこの世界で成功している人は皆がそうだからです。
いちいち教えなくても、自分で気づきます。
そればかりか、何か気づくべきことはないか?と常に探し回っているようにも見えます。
その貪欲さは、そのまま向上心という言葉に置き換えても良いのではないでしょうか。

気づきの回数、つまり「あ!」の回数が多い人は、間違いなくその分成長しています。
そして、成長に見合っただけの地位や立場を獲得しています。
それは他ならぬ、自分で気づいて自分で手に入れたものばかりです。だから、他の人に取られることもありません。
先ほどの述べたように、気づきはマネできないのですから。

この気づき=「あ!」というのは、いつでもいいんです。
何かを聞いた時でなくても、後になって気づいても遅くありません。
そして、年齢も関係ありません。何歳になっても気づくことができれば、その先の人生に役立ちます。

私もまだまだ、これからの人生どれだけ気づけるかです。
これを読んでいただいた皆さんと、全く同じです。

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