こんにちは、中野です。
世の中はゴールデンウィーク目前、連休に何をしようかというワクワク感があちこちに溢れている季節ですね。この時期は連休があるというだけでなく、初夏という一年の中でもとても快適な時期なので、その意味でもワクワク感を与えてくれます。
さて、今回は人望の大切さについて語ってみたいと思います。
ちょっと古い話になりますが、去年の初めに世の中を大いに騒がせた報道がありました。そう、タレントのベッキーとゲスの極み乙女。というバンドのボーカリストである川谷絵音の不倫騒動です。それまで恋愛事とも無縁というイメージが強かったベッキーと、バンド名がそのまま体を表していることが話題性を高めた両氏による不倫はLINEの会話まで明るみになり、日本全体が蜂の巣をつついたような状態になりました。
ことの顛末は今さら説明するまでもありませんが、その後の動きでとても如実に感じたことがありました。それは、私がよく言っている「人気は一瞬、人望は一生」という言葉です。
この言葉を、去年の騒動に当てはめてみましょう。そこには「魅力」と「認知」の違いがあるように思います。
騒動までのベッキーは多数のレギュラー番組を抱え、CM女王とも呼ばれるほどの売れっ子でした。騒動で降板した番組やCMの損害が10億円とも言われていたことでも、その売れっ子ぶりが分かります。騒動からのベッキーは表舞台から姿を消し、自宅に引きこもっているとも言われる時期が長く続きました。
私の個人的な意見としては大の大人が勝手にやっている恋愛なので別に謹慎する必要もないと思いましたが、世の中はそうではありませんでした。イメージとは違うことをしたベッキーを許さなかったのです。
一方の、川谷絵音はどうでしょうか。テレビなどからは姿を消しましたが、バンドとしての活動は続けていました。ミュージシャンの本業はライブなどのバンド活動なので、それは続けていました。ちょうどタイミングよく発売されたアルバムも飛ぶように売れ、騒動をものともしない様子でした。
この両者の違いは何だったのでしょうか?
私が思うに、ベッキーは売れっ子でしたがたくさんの人に「認知」されていただけだったのではないでしょうか。多くの人に知られてはいるが、特定のファンがいるわけではなかったので、イメージを崩すような騒動を起こすと表舞台から消えざるを得なかったのです。
一方の川谷絵音は、ゲスの極み乙女。での音楽活動を通じてファンがいるので、不倫騒動と音楽活動は関係ないと思ってくれるファンが詰めかけてくれるおかげで音楽活動を続けることができました。テレビに出さないという圧力が加わったとしてもライブやアルバム販売という音楽活動には特に支障がなかったわけです。つまり、川谷絵音には認知ではなく「魅力」があったのです。
人望という言葉とは意味が違うかも知れませんが、芸能界にベッキーの代わりはいましたが、音楽界に川谷絵音の代わりはいなかったのです。
「人気は一瞬、人望は一生」という言葉とは若干意味合いが違いますが、単なる人気取りだけではその人の引力は続きませんが、その人が持つ魅力によって得られた人望は一生モノだということですね。
人はどうしてもその時の人気や注目度、よく思われたいという思いを優先してしまいがちですが、本当に信頼される人、その人の代わりはいないと周囲が思える人になることが、人として本当の成長なのです。
最後に。
騒動でどん底に落とされたベッキーが再び芸能活動を再開しています。一度地獄を見て這い上がってきたベッキーの姿は、去年のベッキーではありません。何か吹っ切れたような様子も見られるので、これからのベッキーはたくましく「人気」ではなく「魅力」で勝負をしていくことでしょう。