こんにちは、中野です。
いよいよ今年もあとわずかとなりました。今年は新しいことを色々と始めた年で色々と大変なこともありましたが、振り返ってみると新しく始めたことがうまく回るようになったので良い年でした。
人としての成長をテーマにすることが多いこのブログなので、今回も成長をテーマに語ってみたいと思います。
これは先日製作した本には書かれていないことなのですが、志事と死事の違いが見事に出ている事例なのでぜひとも紹介したいと思っていました。
似て非なるものはたくさんありますが、ここでは「文句」と「意見」の違いについて考えてみたいと思います。
何か批判めいたことを言うと、それが文句なのか意見なのかという違いによって相手の受け取り方や言った本人のその後も大きく変わります。
先に結論を言ってしまうと、文句というのは死事です。そして意見は志事です。
では、その違いを根拠を交えてお話ししましょう。
まず、文句は過去に由来するものです。過去にあったことに対する不満を伝える作業なので、過去に何か気に入らないことがあってそれを言葉にしたのでしょう。
もう一方の意見も過去に由来するものだとは思いますが、それをどう変えたいのか、どうしたいのか、どうすれば良くなると思うのかという未来が含まれています。
そう、文句は不満をただ並べているだけなので未来につながりませんが、意見には未来があるのです。
それと同様に、意見には提案や対案、解決策があります。
もし文句を言っている人が目の前にいたとしたら、その人に「じゃあ、どうすれば良くなると思う?」と尋ねたところで言葉に詰まってしまうでしょう。その問いに対する答えを用意していないからです。
どうにかその場を取り繕って何か言うかも知れませんが、それはじっくり考えたものではないのであまり中身は期待できません。
いかがでしょうか。
同じように見える文句と意見には、こんなに大きな違いがあるのです。
では次に、文句か意見を言われた時の対処法です。
何か建設的な意見を述べている人に対しては、積極的に耳を傾けるべきです。そこには問題解決のヒントがあるはずですし、何よりもこちらのことを心配して言ってくれているのですから好意を無駄にするべきではありません。
その人も何か思うところがあって意見を述べてくれているのですから、それに真剣に耳を傾けることで次も同じように気づいたことを言ってくれるかも知れません。
それでは、もう一方の文句についてはどうでしょうか。
まずは耳を傾けてみて、それが文句なのか意見なのかを見極める必要があります。それが文句だと分かったら、そこから良くしていく方法を考えようと投げかけてみるべきです。本人も気づいていない解決策が出てくるかも知れません。死事が志事に変わる瞬間ですね。
言葉で書くほど簡単なことではありませんが、少しずつでもいいので実践してみると自分の周りの景色が変わってくるのを実感できると思います。